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あちらこちらで 『忘年会』 の声が聞こえます。
私もいくつかの忘年会に参加する予定です。
その中で幹事をまかされているのがあります。
会場の設定
人数確認、予算、料理に飲み物、などの打ち合わせ
何をしたら喜んでもらえるかな?
いつも最後に記念になるものをと考えて楽しんでいます。
その買い物に行くのが大きな楽しみです。
桜橋ボウルに勤めていたときは
毎年 リーグ打ち上げ&クリスマス会をしていました。
抽選会の商品とプレゼント交換会の商品を選ぶのです。
また、それぞれに持ち寄ったプレゼント交換会には
手作りあり、名物あり、名品あり皆さんの気持ちが伝わります。
ワイワイ がやがやとおしゃべりをして
いつもと違う ちょっとおしゃれをして女性をアピール
食べて、飲んで楽しい1日を過ごすのです。
15年以上続いた行事でした。
今年も楽しい商品を買いに行ってきます。
今日
愛知から来た「フラン」香川から来た「メイ」2頭のイルカが帰っていきました。
大きなクレーンに吊り下げられてトラックに載せられそれぞれ帰りました。
9月15日から沢山の人とふれあい、癒し、笑顔を与えてくれました。
土居川が綺麗になったことのアピールとして去年始めてきました。
今年は土居川と、アニマルセラピーの研究として来ていました。
子供たちと泳いだり、背中を触らせたり、ボール遊びをしたりなど
狭い簡易水槽に閉じ込められて2ヶ月余りおつかれさまでした。
優雅に泳ぐ姿、かわいらしい目、かわいい泣き声
なんとも愛らしい『イルカ』さんたちでした。
ボランティアでお手伝いに行きましたが
小さな子供たちや、小、中、高の子供たち、
若いカップル、老夫婦、老人介護施設の人達、
沢山の人達がイルカを見て帰りには素敵な笑顔で帰っていかれました。
堺にいるかの水槽を作ろうと嘆願書も集まりました。
イルカの施設が堺にできるといいなあ
来年もイルカさん来てくれるといいのになあ
待ってますよ (o^∇^o)ノ
無事に帰って元気に泳いでくださいね。
『イルカさん』 ありがとう
31回目です。
5年目、10年目、15年目は家族旅行をしました。
20年目と25年目は息子の野球で食事会のみでした。
25年目は娘がリッツカールトンホテルを予約
素敵な夜になり、家族で食事をし、宿泊をしました。
去年30年目を迎えて楽しみにしていましたが
主人は仕事、娘も息子も友達と遊びに行って私一人
12月になり家族でカニを食べに行きました。
今年は何かと思えばみんな忘れて普段の日になりました。
子供の頃。父も母も仕事をしていたので
盆と正月は親戚一同で温泉旅行をし
結婚記念日、お誕生日には食事会が決まりでした。
結婚してからは・・子供が生まれてからは・・・
お誕生日には主人がケーキを買ってきてくれます。
また子供たちが感謝の気持ちの手紙をくれます。
そういえば最近は手紙をくれませんね
家族の分だけ記念日があり、一年の行事として
家族の輪を豊かにする為には大切なことだと思います。
物をもらう、あげるではなく、言葉一つでいいのではないでしょうか。
記念日に、感謝の気持ちと、思いやり思い出して、
心あらため、明日への糧になると人生豊かになるのでは
「ありがとう」素敵な言葉です。
「 須田開代子プロを偲ぶ会」 に行ってきました。
関西、北陸、四国からプロ、アマ130余名の参加でした。
スカイパーフェクトの取材をはじめボウリングマガジンなどの取材も入り
大村義和をはじめ各センターの支配人、勇退された懐かしい支配人など
沢山の来賓がこられ、コメントを話されていました。
12年の月日がたっても『須田開代子』の名を聞くたびに
涙がこぼれそうになる私です。
17日に6人のメンバーで高松に行ったのですが
高速の道を間違え瀬戸大橋経由で行きました。
思えば 20年ほど前、瀬戸大橋が完成した記念に
水島国際ボウルにJLBC親善大会に行きました。
東京から須田プロとレディースが飛行機で
大阪から新幹線で私と4人のレディース
岡山で合流、瀬戸大橋 与島で昼食をとり、船に乗り、記念撮影
親善大会をして大原美術館を見学、とても楽しい旅でした。
須田プロのお客様への気遣い、気配りを学び
生き生きした顔、はつらつとした行動を思い起こしました。
鳴門大橋を渡って高松入りのはずが瀬戸大橋周りになり
綺麗な夕日と須田プロを思い起こさせる与島での休憩
なんだか今週は私にとってすばらしい一週間になりました。
『須田開代子』
ボウリング界にとってすばらしい方でありますが
私にはそれ以上の
恩師であり、先輩であり、母として、女として
思い出話が沢山あります。
忘れることのできないお話を書いていきたいと思います。
「必ず良くなって帰るから関西のレディースをよろしくね」と
お電話を頂き、「必ず良くなって帰って下さい」と交わした言葉が最後でした。
須田開代子プロが亡くなって12年。 今年は13回忌となります。
品川ボウリングセンターで日本で初めてのボウリング葬が執り行なわれ、
全国からボウラーが集まり、『一球』を須田プロにささげました。
関西ではJLBCを通じて沢山のレディースの皆さんがお慕いしております。
19年11月21日須田開代子プロの命日です。
JLBC初代代表須田開代子プロを偲んで
“たくさんの出会いと感動をありがとう”
桜橋ボウルで21日(水)10:00より開催されます。
沢山のボウラーと須田プロを偲んで一日楽しむ予定です。
須田プロが生きていらしたらボウリング界もまた違ったことでしょう。
一番は あいさつです。
朝一の『おはようございます』
帰る時の『お疲れ様』『ありがとうございました』など
人様々ではありますが、元気いっぱいの声、暖かな笑顔、
心のこもったあいさつは、とても気持ちのいいものです。
反対に、聞こえたか聞こえなかったか分からないような声
どこを向いて言ったかわからないようなそぶり
知らんふりして、無視しているような態度
トーナメント出場者として自覚のなさに、許せない気持ちになりました。
センタースタッフ、大会関係者には少なくとも感謝の気持ちを込めて
軽く会釈をできるようにして欲しいなあと思いました。
次に服装と態度
プロボウラーとしてのけじめの好ましい服装。
センターに入ってきたときから、お客様はプロを見に来ていること
大会関係者が、プロだなと見極められる服装、態度が必要と思います。
ユニフォームも最近では、アマチュアの方々の方がとても派手ではありますが、
プロとしての個性と威厳、世の流行をキャッチし、アピールできるユニフォーム
しかし、女子プロボウラーであることを忘れないで欲しいなあ・・・・
センターに、一歩入った時から出るまで、プロであることを忘れないでほしいなあ
挨拶、態度、服装、言葉遣い、社会人としても大切なことと思います。
プロはいつでもどこからでも見られていること
ボウラーのトップであることを自覚した行動を撮ることが大切だと思います。
50過ぎたおばはんの独り言でした。
JLBC彦根プリンスカップ見学です。
10年前石井プロと共に関西のJLBC会員の皆様に希望を・・・
大津プリンスホテル、石山ボウルでの開催でした。
スポンサー集め、参加者募集、会場センター設営など
色々と苦心惨憺、関西のプロボウラーが頑張りました。
アマチュア副賞のハワイ旅行があり
ハワイ親善ボウリングツアーも出来ました。
あれから10年あっという間に過ぎ、沢山のレディースに応援していただきました。
中山律子会長の涙の挨拶、石井利枝プロ、永渕プロ、涙の開会式でした。
全国のレディースボウリングの楽しみの大会が一つなくなります。
優勝を目指し、ハワイ旅行獲得、1年に一度のボウリング同窓会、家族での関西旅行など
色々な目的で集まられた大会でした。
私もレディースの皆様と石山寺、三井寺、竹生島、琵琶湖遊覧など
大会と共に、観光を楽しみ、またハワイ親善旅行と友好を深めたものでした。
センターの閉鎖に伴い大会がなくなるのはとても残念で、寂しい思いです。
沢山の人と共に思いでいっぱいのボウリングです。
スポンサーの、近江鉄道様、スタッフの皆様、
応援してくださった、レディースの皆様、女子プロボウラー
本当にありがとうございました。
私、娘、息子も陸上競技をしていたので毎晩テレビを見て評論会です。
短距離と投擲が種目でしたので、家族で思い出話の尽きぬこと・・
子供たちのお陰で、関西の陸上競技場と野球場はほとんど回ったように思います。
すばらしい長居競技場が映し出されてビックリしています。
世界競技がされると、競技場、その周りも整備され立派になるのだと感心しました。
毎晩TVに放映され、沢山の人の関心が集まります。
ボウリングも昔、ゴールデンタイムにTV放映がありボウリングブームの始まりでした。
プロ新人時代に、ボウリング場も日本全国を駆け回ったように思いますが、
今ではそのセンターが「閉鎖」とのことを耳にし、心を痛めています。
時代も変わりCPが導入され、新しいボウリング場も沢山できました。
スポーツ白書では参加したことのあるスポーツNO1のボウリング
もっとTVに取り上げてもらって、
生涯スポーツとしての位置をアピールできるといいですね。
子供の頃に経験できるボウリング
しかし、学校教育ではボウリングの勉強はない
国体にもある種目なのになぜ?
陸上競技は小、中、高で勉強しているのでとても身近に感じるのですね。
生涯参加できるスポーツはボウリングなのです。
プロも、コーチも沢山いてるのに・・・
活用されないのが残念です。
風邪気味でしたが久し振りにプロの大会を見に行きました。
大会はええなあ~やっぱり見るより投げるやな。
トーナメントから離れ15年がたちますが、懐かしい女子プロたちと話をしました。
半分以上は新しいプロですが、皆、快く挨拶してくれました。
名前も分からないプロが沢山いました。
観客席から拍手を送ると答えてくれるプロ
無愛想にふてくされたようなプロ
大きなボディーアクションをするプロ
一人ぼそぼそと言っているようなプロ
笑顔を振りまいているプロ
個性のあるユニフォーム、地味目のユニフォーム
色々なプロを楽しみました。
成績の良いプロは顔も、フォームも態度も光っていました。
色々と勉強になり、練習のヒントも見つけました。
トーナメント観戦もまたとても楽しいものでした。
1861年文久元年長崎の出島にボウリングサロンが出来たということが
英字新聞に載っていたところから決まったそうです。
長崎の出島には『ボウリング発祥の地』と書いた碑があるそうです。
ボウリングの日には各センターで催しが沢山あります。
ボウリング無料招待、記念品、グッズ、障害者ボウリング大会、
プロチャレンジ、くじ引きや、ガラガラ抽選会などなど・・・
昔は、新聞や、テレビなどに宣伝があったりで
とてもにぎやかであったように思います。
日本人で初めてボウリングをされた方は?
坂本竜馬なんて浪漫話がありました。
本当は誰なんでしょうね。
ボウリングのルーツを調べてみたり、長崎出島、神戸や、東京のミュージアムなど
見物旅行をしてみたいなあ・・・
そうそう、歴史についてはスペシャリストがいらっしゃいます。
それは宮田哲郎プロです。すごいですよ
全国のボウリング場行脚なんて面白いでしょうね。