私,プロボウラー中野美智子が体験してきたことをもとに自分を少し振り返って、「自分史」を作りあげていきたいと思います!ボウリングのみならず育児や教育等、様々な内容を取り扱っていこうと思っております。
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初めてボウリングしたのは12歳 確か126点だったと思います。
和泉大宮駅のすぐそばで岸和田パークレーン(ブランズウィックA2の34レーン)
フロアーはじゅうたんが敷かれていて喫茶カウンターが在ったり
ピンゲームやジュークボックスビリヤード台がありました
当時はほとんどのセンターがスリッパに履き替え入場する形式でした。
受付でボウリングシューズを借りてレーンの受け付けをすると
スコアーをつける紙と鉛筆をくれます。
1枚の紙には12ゲーム書くところがありレーンのメンバー全員が書いていくのです。
書くところが無くなると追加の紙をもらいに行きます。
今のようにコンピューターがないときでしたので、自分で点数を書き計算するのです。
センターによってはスコアラーが一人ついているところもあったようです。
試合のときはマーカーペンでスコアーを書きアプローチの上のほうに映し出されていました
機会も自動ピンセッターといい、ピンがセットされボールが帰ってくるのです。
その前はピンに紐がつるされていました。
もっと前は倒れたピンを払いボールを返してくれる人がレーンの裏に居たそうです。
ピンボーイと言われていました。
今のようにコンピューターが何もかもしてくれるようになったのは20年ほど前かな?
機会もレーンもメンテナスもボールも時代と共に変化しています。
和泉大宮駅のすぐそばで岸和田パークレーン(ブランズウィックA2の34レーン)
フロアーはじゅうたんが敷かれていて喫茶カウンターが在ったり
ピンゲームやジュークボックスビリヤード台がありました
当時はほとんどのセンターがスリッパに履き替え入場する形式でした。
受付でボウリングシューズを借りてレーンの受け付けをすると
スコアーをつける紙と鉛筆をくれます。
1枚の紙には12ゲーム書くところがありレーンのメンバー全員が書いていくのです。
書くところが無くなると追加の紙をもらいに行きます。
今のようにコンピューターがないときでしたので、自分で点数を書き計算するのです。
センターによってはスコアラーが一人ついているところもあったようです。
試合のときはマーカーペンでスコアーを書きアプローチの上のほうに映し出されていました
機会も自動ピンセッターといい、ピンがセットされボールが帰ってくるのです。
その前はピンに紐がつるされていました。
もっと前は倒れたピンを払いボールを返してくれる人がレーンの裏に居たそうです。
ピンボーイと言われていました。
今のようにコンピューターが何もかもしてくれるようになったのは20年ほど前かな?
機会もレーンもメンテナスもボールも時代と共に変化しています。
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