忍者ブログ
私,プロボウラー中野美智子が体験してきたことをもとに自分を少し振り返って、「自分史」を作りあげていきたいと思います!ボウリングのみならず育児や教育等、様々な内容を取り扱っていこうと思っております。
[155]  [154]  [153]  [152]  [151]  [150]  [149]  [148]  [147]  [146]  [145
私の父は、平成6年の11月享年67才で他界しました。
台湾からの引揚者だったそうです。
両親を早くに亡くし、予科練に志願したそうですが
出兵することなく終戦を迎えたそうです。

とても頑固で昔ながらの気質を備え、とても厳しい人でした。
兄弟と会社を設立し大変苦労をしたそうです。
「三つ子の魂百までと」しつけには厳しかったのですが、
とても自由人で、私の理解者でもありました。

鍛えた体を維持してはいましたが、肺と胃に病を持っていました。
昭和56年に「胆のう癌」を発症し手術を受け、
10年間は無事に過ごせたのですが、肺や、肝臓に転移し
手術を繰り返しましたが平成6年に脳への転移が見つかり力尽きました。

小学校6年の終わりに私は変形性股関節性が見つかり
運動好きの家族に大きな衝撃が走りました。
中学校に入りすぐに実験的な股関節の手術を受け
運動ができなくなった時に、励ましさせてくれたのも父でした。
たまたま担任の先生が軟式クラブの顧問でテニスをすることを進められたときも
父が応援してくれました。
3年生の時、近畿大会出場が決まったときも
車で選手を連れて応援しに来てくれました。

高校に入りテニスを続けることができなくなった時
父はボウリングを勧めてくれました。
当時、ボウリングはとても高級な遊びではあったのですが・・・・
運にも恵まれ、大阪代表に選ばれることが多くなった私を
ずーと見守り応援してくれたのは父でした。

「足が悪いからと落ち込んでなんかいられない」
「元気で笑顔のある私を父に見てもらいたい」
「やるからには最後まで頑張りたい」
と今やれることは最大に実行していこうといつも心に思っておりました。
ボウリングのプロになりたいといったときにも
「プロとしての本当の実力を身に付けさせてください」と
菅野光男氏にお願いし、預けてくれました。
3年間、プロとしての修行をすることができました。
今、ボウリング生活ができることは
父の厳しい気質と、心豊かな愛情にほかなりません。

そんな父に優勝し、感謝の気持ちをあらわすことができなかったことは残念です。
第15回のプリンスカップで準優勝したこと、
一男一女の孫を見せることができたこと、
せめてもの感謝の気持ちでした。
仕事や、大会参加のときに私の子供たちにも、大きな愛情を、
また、色々なことに応援し、力になってくれました。

本当に厳しく、頑固でまっすぐな人でした。
病と闘い、辛抱強い、勇気あるまじめな人で、
いつも穏やかに、心豊かな、優しい人でした。
旅行が趣味で、温泉が好き、子供が好きな父でした。



PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カウンター
最新コメント
[03/18 銀パパ]
[02/16 mikio-toyoshima]
[01/23 龍田浩史]
[05/07 mei]
[12/11 高田 高]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Bowling NINJA
性別:
女性
職業:
プロボウラー
バーコード
ブログ内検索
忍者ポイント
忍者ブログ [PR]